Vol.01 ザキさんとの対話
第2回目「続・自己紹介」(2021.3.28)
年代:30代 地域:静岡県
所属:相談支援事業所
働いて何年目か:ピアスタッフとして2年目
※ピアスタッフの業務として出向く施設としては、他に相談支援事業所と同じ法人内の精神科救急病院・地域活動支援センターなどがあります。
山崎 将展さん
(呼ばれたい名前:ザキさん)
ゆっきぃ
「意図的なピアサポート」に出会ってから、ピアサポートへの関心が強くなりました。
意図的なピアサポートというのは、Intentional Peer Support (IPS)が元の英語で、これはピアサポートや、人との関係を考える考え方です。このIPSに出会ってから、看護師など医療者も、専門職とか支援者としてではなく、人間として患者さん(や利用者さんと呼ばれている人)と出会えるのではないかと思ったのでした。そして人間と人間との関係としてのピアサポートから学ぶことで、看護や医療や支援がもっと素敵なものに変わっていけるのではと考えました。
そんなことを考えたり、ピアサポートに関わる活動をする中でピアサポートスタッフとして働いている方達の思いや葛藤に触れ、その感じていることをもっと教えて頂きたいという思いがつのっています。
ザキさん
たしかに高度な資本主義社会・産業社会では労働が専門分化される傾向があると思います。何らかの職についての専門知と人生の教養、そして違う場面では消費者、という顔を一人の人間が複数持つという社会だと思います。
社会学の学部レベルをもう忘れてしまったので、これは僕の雑感です。それを考えたとき、今までのパターナリズムな医療界は専門知を人に強制力をもって当てはめていた過去があるのかもしれませんね。(医学史に詳しくないので想像です。)
みどりん
わたしはもともと精神科の病院で働いたりして精神看護に携わっていました。いまの職場はメンタルヘルスと関わりありませんが、プライベートな時間を通じてしっぷろの活動をしています。わたし自身は「ピアサポート」との関わりの歴史は浅くて、まだ語れる思いや言葉を十分にもちません。でも、周辺の知識や経験や人との関わりでここにたどり着いたように思っています。
正直なところ、ピアサポートって、言葉はとてもよく聞くのにちゃんとわかっていないから少し敷居が高いような気がしてしまいます。どんなことでもそうかもしれませんが、周りの人がよくわかっている気がするので、「いまさら聞けない」と思うことも多くあります。わたしは初心者すぎて的外れなことをお伺いしてしまうかもしれませんが、それもそのままザキさんの懐をお借りしながらお話を伺えたら嬉しいなと思っています。
ザキさん
ピアサポートという言葉は、実際のところ僕も体感的な理解が先行して、 研修や業務で言語化をしている日々です。古風な言い方をするなら学校や大学の「同期の桜」というイメージ像がまずあって、そして病棟とかピア会という「同じ釜の飯」という語感に近いのかもしれません。
それを少しずつどう精神科医療・福祉の世界でよりピンと来る概念になるかはまだまだ試行錯誤です。実際のところ、業務では「人よりも元気な精神障害者」とロールモデルで見られる展開が多い気がします。(僕だけ?)
えみさん
以前、福島の精神科病院に勤めていましたが、そこで入院生活が私の年齢よりも長くなっている方たちとお話することがあり、どうしてこんなに入院をしなければならないのか、みなさんにも他の人生があったのではないのか、と悶々とする日々を送っていました。
そんなとき、アウトリーチチームの精神科の先生のお話を聞くことがあり、「これだ!」と思い、千葉の病院でやっているACT-Jと呼ばれるアウトリーチチームに志願して上京しました。それからまた年を経たのですが、大学院に入り、ゆっきぃさんの元でピアスタッフをテーマとして研究を進めています。
次回は、いよいよザキさんのお仕事の内容などを伺っていきます。
(つづく)
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